暮らしのねっこ

食と暮らしの豊かさをもとめて

苦手なことと、聞いてくれるだけという豊かさについて

動作系の全てが苦手すぎるお風呂の話。

もともとお風呂に苦手感があるけど、分解してみると、湯船に浸かるのは好き、頭を洗うのも身体を洗うのもさっぱりするし好き。髪を乾かすのもやり始めれば乾かし方の研究が始まるから面白くなってくる。

けどその連続した動作が『お風呂の時間』っていうぎゅっとした時間に凝縮されたものになった時に苦手になってくる。全然リラックスタイムなどにはなり得ない。多分狭い場所も換気扇が鳴り響く場所もあんまり好きじゃない。

(生活の中で動作が多いといえば料理もだけど、閃きを具現化したい衝動と食欲が勝つので苦痛は伴わない)

しかも親になってからは自分を含めた2、3倍の作業量が苦痛でしかない。そういう苦手な場所でこどもと会話を楽しむなどもってのほか。だけどなんでもないことにしてお話しするし、おふろ遊びもするし、普通に過ごしている。

一番疲れている時間に毎日苦手なことをやるのはすごく大変。時には泣きたくなる。朝入れば体力面の問題はカバーできるけど夜ベタベタしたまま寝たくないしな。苦しいけど夜済ませておきたい。どうしてもという日以外は何年も何十年もサボらず頑張っている自分、偉い!

温泉は一個一個の作業がゆったりしているし開放感があるから問題なし。

子供にもいろんな苦手があってきっとまだ認識していないだけで、言葉にはできないけどきっと色々あってグズグズになったりしている。それをおかしい!と一刀両断に責めたりしたくない。

世の中の不機嫌そうな人も寂しそうな人も理解不能な人もきっと色んな苦手を知らない間に努力して押し殺している。

乗り越えたり克服しなくてもいいから、せめて苦手だけど頑張ってるなぁ自分、と褒めたり慰めたりしたくなったお話でした。

我慢しているママを見て欲しいわけでも褒めて欲しいわけでもないので、今度正直に子供にも話してみよう。そうなんだーってただ聞いてくれると良いな。自分も子供にそうしよう。