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暮らしのねっこ

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高畑勲氏の追悼特別号

『平和を育てる大泉9条の会』で2年前、同会の会員でもいらっしゃる高畑監督の講演があり、地域の子育て世代の声も聞きたいという監督のリクエストで登壇しお話しさせていただく機会を頂いたご縁で、今年春お亡くなりになった監督の追悼特別号が同会から出されるということでお声かけをいただき、監督や平和への思いを込めて寄稿させていただきました。下記に本文を載せておりますのでご覧下さい。


無題で提出したところ、平和の会のM様に素敵なタイトルをつけていただきました。内容をよくよく汲み取ってもう一つの『声』を付け加えていただけたことを大変嬉しく思います。

以下本文です。

喜び、悲しみ、苦しさを包む「生」

高畑監督の遺作となってしまったわたしの大好きな『かぐや姫の物語』。高畑氏の前で感想を述べる機会を頂いた時には、ちっとも言葉になっていかなくて『人生観を大きく変えてくれた作品でした』とだけお伝えするのがやっとでした。どこまでも突き抜けていくような晴れ晴れとした喜びも泥臭い悲しみや苦しさ、なにもかも引っくるめて生と死の間に今日も生きているということを噛み締めて生きていこう、という力を与えてくれた生々しい作品でした。

ほか、どの高畑監督の作品からも、切なくなるほど生きることや暮らしへの愛を感じると共に、同調圧力全体主義への反抗、少数派が多数派に圧迫され辛酸を嘗めながらも、それでもこの生を生きている。というメッセージが一貫して描かれているように感じてきました。高畑監督の映画は深い部分での共感を与えてくれた作品でいっぱいです。

高畑監督の代表作の一つである『火垂るの墓』においては、反戦映画としては役に立たないのではないかと高畑監督のお話を目にしました。この映画のもつ無垢な存在を巻き込んだ悲惨さ切なさの鮮烈なイメージ。そんな悲しみを回避するための自衛の手段であるということを建前に、反戦のメッセージとは反対の道具にされてしまうのではないかと危惧されていたといいます。

火垂るの墓』が反戦映画になり得ないというよりは作中に、それっぽいリアリティではなくまざまざとリアルが横たわるが故に反対の効果も持ってしまうというジレンマ。人類はそんなパターンで争いを繰り返し今日までに至っている生き物とも言えると思います。争いと平和という表裏一体のものを、平和だけをくり抜き永続していくために日々自分ができることを、与えられた生の中でずっとずっと考え続けたいと思います。街の外れから終わらない苦しみを永遠に繰り返し続ける清太と節子に今日も見守られながら。